多田 幸雄先生 講演会
『世界と地方とSDGs』
— 国際情勢や日米の架け橋の視点と地方移住体験から語るSDGsの推進

講演会 2021.12.04

2021年12月4日(土)

講師:多田 幸雄氏 (双日総合研究所相談役/北海道大学新渡戸カレッジフェロー/長崎大学経済学部客員教授)

SDGs普及展開事業の一環として、2021年11月5日に開催された役場職員向けの勉強会・須江雅彦先生講演会に引き続き、住民を対象とした講演会を開催しました。今回の講師は、双日総合研究所相談役、北海道大学新渡戸カレッジフェロー、長崎大学経済学部客員教授としてご活躍の多田幸雄先生にお越し頂きました。
講演会の告知は町のウェブサイトやSNSなどでも発信しましたが、住民の皆さまにSDGsの概念を知って頂き、SDGsをより身近に感じて頂くことを目的として、講演会の告知と共に「SDGsとは?」「多可町とSDGs」という内容を記載したチラシを新聞折込みで配信させて頂きました。当日は用意した椅子が足りないほどの参加者がお越し下さり、「持続可能なまちづくり」に対する関心の高さを窺い知ることができました。

多田先生は、これまでにワシントンDCに13年、その他、フランスや台湾に駐在され、民間企業に務めながら日米の交流に関する様々な事業に協力。また、多可町でも活躍するALTを海外から招待しているJETプログラム推進の中心的役割を果たしてこられました。世界各国で長きに渡ってご活躍をしてこられた経験と、最近東京から地方へ移住された移住者としての視点もお持ちですので、それらを通して見た『世界と地方とSDGs』というテーマでお話をして頂きました。

世界の経済と移住者としての視点

初めに、世界の経済という視点で見たSDGsの現状と、多田先生が移住先として選んだ富士市のSDGsの取り組みについてお話し下さいました。
多田先生がSDGsのことについて関わりを持つことになったきっかけは、2016年2月11、12日に長崎大学で開催された「長崎地域国際化フォーラム」だったそうです。長崎市民だけでなく、市長や教育長、それから総務省や文科省、経済界からも有識者が参加し、活発かつ多角的な議論を行い、「国際化、海外人材の活用を通じた地域の活性化、地方創生」をより推進するための課題や対策について話し合われました。

また、外務省や全米の日本総領事館等と一緒に、2018年10月から「日米草の根」次世代の人材育成・労働力開発セミナーをアメリカの各州、イリノイ州、インディアナ州、オハイオ州、アーカンソー州、テネシー州で行い、オレゴン州まできたところで新型コロナウイルスの感染拡大が発生して一時中断したそうですが、その後、2021年7月にテネシー州のナッシュビル総領事館と共催し、全米50州のうちの30州、カナダ、メキシコ、アルゼンチン及び日本からも参加して、オンラインでセミナーを開催。主に中小企業や零細企業の人材育成、ウィズ/アフター・コロナの労働力開発やリモート技能教育に注力しようというものです。これまでは自動車の一番大事な部分はエンジンでしたが、これからはカメラやレーダーなどのセンサーの技術が重要になってくるので、これまでは自動車メーカーが主流だったのが、パナソニックやソニーなどの電子製品を作る会社が自動車の分野では重要になってくるというような話を外務省と一緒に進め、次世代の新たな労働力の開発などが主な目的だったそうです。

そして、多田先生が働き方の大きな変化を実感したという出来事は、2021年10月、栃木で開催されて「関東ブロックユネスコ活動研究会」で基調講演を依頼されたときのことです。すべての人に平和をということで、多文化共生とSDGsの推進について話をするはずだったのですが、同じ日に北海道大学ゼミの開校式と重なってしまい、どうしても北海道に行かなくてはいけなくなったそうです。その結果、前の週に栃木県の足利市で講演を収録し、当日にそれを流してもらい、ご自身は北海道で対面の授業をなさいました。今では普通にオンラインで会議などができますが、昔は考えられなかったことです。これまでは、自分自身が海外に行って世界で仕事をしていましたが、例えば多可町にいながら世界中での仕事をすることが可能になったということで、働き方そのものが根本的に変わっています。

多田先生は、2021年7月に全く縁が無かった静岡県の富士市に移住されましたが、海外生活が長かった多田先生にとっては、美しい富士山が見える景観はもちろんのこと、「FUJI」という国際的なブランド力がある街に魅力を感じたと言います。海外の人に富士山の麓に移住をしたと言えば皆が分かってくれるそうですが、他の自治体同様、少子高齢化などの影響でやはり人口減少は避けられないようです。
富士市は、2020年7月に内閣府からSDGs未来都市の認定を受けましたが、富士市にも環境面での過去の歴史がありました。富士山から流れる大量の地下水脈によって製紙産業が盛んになった地域ですが、高度成長期に産業排水の影響で田子ノ浦水域にヘドロが堆積して、船も通行できなくなるほどだったそうです。ところが、その後の公害防止対策によって今では水もきれいになり、地元漁協食堂では新鮮なしらす丼を食べることもできます。この事例が示すとおり、自然は人間が壊してもある程度復元する能力があるものなのですが、やはりそこには人間が工夫と地道な努力をして取り組まないとそうはならないということです。
富士市がSDGs未来都市で考えている特筆すべきことは、地元産業を活かした植物由来のCNF(セルロースナノファイバー)に関連した研究・開発です。CNFは、軽いのにコンクリート程の強度を持つ新素材ですので、富士市は関連新産業の一大集積地の形成を目指しているとのことですが、CNFを活用し製品化した会社は今のところ1社。2030年には、12社に増やすという目標を掲げて取り組みを行っているところです。

SDGsは2015年に国連で採択された持続可能な開発目標ですが、その直後からいろんなことが起こっています。移民・難民の急増、イギリスのEU離脱、トランプ大統領の出現によりアメリカで進んだ分断、米中の知財と先端技術の競争激化などです。そして新型コロナウイルスの出現。これによりSDGsは後退したように思われますが、実は進んだ部分もあります。また、格差の対象の「資産」が、これまでの領土や地下資源という考え方から、先端技術と情報へと変化してきました。AIや情報産業がどんどん進み、今、18、19歳ぐらいの若い世代が働き盛りの40代ぐらいになる時代がこれから重要で、そのためにはSDGsが目指す2030年よりも15年進めた2045年を見据えるということが大切になってくると多田先生は考えておられます。

「MOTTAINAI」という文化

「限られた資源・資産の有効活用」という意味で、日本が誇る文化が「MOTTAINAI」です。ゴミの削減、再利用、再資源化という環境活動をたった一言で表せる素晴らしい日本語です。日本では、昔からこうした環境活動を自然にやってきたのです。この言葉を絶賛したのが、2005年に環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したケニア人女性のワンガリ・マータイさんで、このことがSDGsの流れにも繋がっています。もっと遡れば縄文時代にも言えることです。縄文時代は1万年も続いていて、豊かな感性と人間性が育まれた時期でした。犬もちゃんと家族同様に埋葬されていて、自然と人間と動物は分かちがたく結びついた存在だったということです。
私が好きな言葉に、「吾唯足知(吾、ただ足るを知る)」という言葉あります。日本は何事も中庸が肝心という精神を育んできて、それがないと拡張主義や格差が進んでいきます。これが共生・共存のベースで、地球という共有財産、グローバルコモンズのステークホルダーというのは人類だけではなく、山や川、森林などの自然、人間と動物達の全てが含まれます。そうしたステークホルダーが共存できる社会環境の実現を目指して、柔軟で突飛な発想でSDGsについて考えて頂ければと願っています。

日本は仮想空間メタバースの先駆者

テレビゲームやスマホのゲームはもちろんご存知だと思いますが、日本は仮想空間メタバースの先駆者でもあります。今年、コンピュータ中枢のCPUを作っているインテルという会社と「次世代eモータースポーツIntercast eRacingとの協業について」というパネルディスカッションを開催しました。これは次世代と共感できる分野ということで考えたものです。既存のeRacingにはトヨタの豊田社長も参戦されていますが、私たちは、それを進化させて本物のレースに近い諸条件を織り込んだ次世代のオンラインゲームの開発を考えています。
この新しいeRacingは人材育成の一環で、実際のモーターレーシングを元にしたものなのですが、「エンジンについて知る」「タイヤについて知る」「気象条件について知る」などの最初に提供される講座が21科目もあり、チームをまとめるピットマネージング(ピット作業)などもあります。そういうことを学んだ上でeRacingをやると、ただ単にゲームをやって面白いというだけではなく、雨の予想が出されると何時のタイミングでレインタイヤに変えないといけないとか、ピットクルーの経験値などが問われてくるので、より実践に近い訓練を受けることができます。実際のレースではこういった事前のマネージングが勝因の7割を占めていて、ハンドリングなどは3割程度です。こうした新しいテクノロジーを使った仕組みを、若者世代と一緒にできないかということを考えています。

これまでは、日本はほとんど労働集約型、「みんな一緒に一つの釜の飯を食って頑張ろう!」という形だったのですが、今やロボットやAIが入ってきて、人間は単にモニターを見ているだけ。実際はAIが管理をして、ロボットが黙々と作業をし続けるところまできています。そして、新型コロナウイルス感染拡大の社会で注目されてきたのが「アバター」です。仮想空間と呼ばれているものですが、今までは自分で自分の車を所持し、それを運転して現地に行くということが必要でしたが必ずしもそれだけではなく、仮想空間の中で働いて生活するという発想が出てきています。多可町という仮想空間の中に、いつでも誰でも入って生活をしたり仕事をしたりすることができるという考え方です。
一例ですが、「あつまれ どうぶつの森」というゲームソフトが世界中で大人気になっていますが、そのリアル版のイベントも開催されたそうです。今は仮想空間とリアルイベントが行ったり来たりするということが珍しくなく、先日、渋谷で行われたバーチャルイベント「バーチャル渋谷au 5G ハロウィーンフェス2021」などは分かりやすい事例だと思います。実際に渋谷に行かなくても仮想空間で参加できるため、コロナ禍であるにも関わらず世界中から延べ55万人が参加したそうです。逆に、コロナ禍だからこそ…と言った方が良いですね。このぐらいのことが、技術的にも今の日本は可能ですので、今後の新たな文化として定着していくと考えています。
韓国・ソウルでは、2021年11月にバーチャルリアリティに依存する仮想空間メタバースで、さまざまな公共サービスや文化イベントを利用できるようにする計画を発表し、いち早く行政のサービスを世界に先駆けて取り組もうとしています。

2015年7月に「ダボス会議」を主催する世界経済フォーラム(WEF)本部で、「全てのステークホルダーがつくる持続可能な世界」に向けた、日本の貢献策とロシアでの実例を日ロ共同でプレゼンを行いました。そのときの具体的な貢献策に、「MOTTAINAI」精神で助け合いといったサービスの付加価値を交換できる「通貨」に替える制度を提案しました。日本には自分が健康なうちに要介護者のお手伝いをするとポイントがもらえる「介護支援ボランティア制度」があり、ポイントを貯めると自分が歳をとった時の介護サービスに使え、地元で商品券代わりにも使えるものがあります。また「ふるさと納税」や蔦屋の「Tポイントカード」なども今では定着しています。ロシアの提案は世界的にユニークな内容で、例えばロシアで貯めたポイントは「仮想通貨」に置き換えて周辺諸国でも使えるようにしようというものでした。そのときには全く響きませんでした。まだ時代が早かったのでしょう。
しかし、それから内外情勢は大きく変化して今では、多可町内での貢献を町内通貨として使えるという取り組みも可能ですので、新たな施策として考えることも可能です。

多様なアイデアの創出がまちの未来を創る

昨日、富士市役所へ行って「明日、多可町へ行くんです」と言ったら、このヒノキのSDGsバッジを教えて下さいましたので、急遽、新富士駅の売店で買ってきました。富士ヒノキ建材の端材で作られていますが、多可町は良質なヒノキの産地と聞いていますので、町民の意識を結びつけるひとつのツールとして活用できるのではないかと思って持ってきました。多様なアイデアの創出がまちの未来を創っていくので、皆で案を出し合いながら努力をしていくことが大切だと思います。

質疑応答と意見交換会

講演会後に質疑応答の場が設けられ、多可町SDGs推進アドバイザーの須齋正幸先生にも加わって頂きました。会場からは、様々な年代の方からいろんな意見が出され、多可町の人口流出や出生率の低下、地場産業の衰退などの問題や企業誘致の可能性、安心安全な食物の生産地としてのアピールなどについて意見交換がなされました。
木がたくさんある自治体は日本中にあるので、多可町産のヒノキを他のものと差別化し、「多可ブランド」というのを高めていくことが重要とのことです。多可町の「TAKA」という響きは分かりやすい。ひらがな、カタカナ、ローマ字を使って、何かキャッチーなコピーを作って、それを連呼するだけでも一つの解決策に繋がるアイディアになるかもしれません。
すでに「山田錦」というブランドを持っていますし、当たり前過ぎて見えていませんが、空気や水も安心安全のブランドとも言えます。こうした価値観に、まちの皆さんが議論を重ねていかれることが大切なのです。
参加者からは、最近SDGsということを知って絵空事のように感じていたが、今日の話を聞かせて頂いて、自分で考え、行動を起こし頑張らないといけないんだなということに気づいたという感想を言って下さる方もおられました。

今回の参加者は地元企業の経営者などの姿も目に止まりましたが、最後に多田先生からのご提案で、今日会場に足を運んでくれた若い世代の方にマイクを回し、一言ずつ自分の考えを語ってもらいました。
地場産業の播州織工場を経営している方からは、このまちの歴史を創ってきた魅力的な産業を、地域の魅力として発信していきたいという話や、外から新たなものを取り入れるのも大切だが、このまちがこれまでに大切にしてきた言葉ではなかなか表すことができない丁寧な暮らしが、今でも残っているということが最大の武器なのではないかという意見をお聞きすることができました。また、子育てをするにはとても良い地域なので、様々な支援でIターンだけではなくUターンの人を増やすことに力を入れて欲しいという意見もありました。
皆それぞれの立場でこのまちのことを考え、自分たちにできることで貢献したいという熱意を感じることができるコメントが寄せられ、世代や立場を超えて、持続可能で住んでいる人が幸せを感じることができる地域づくりの第一歩に相応しい雰囲気の講演会となりました。