須江 雅彦先生 講演会
多可町役場職員向けSDGs勉強会
「世界と共に生きるという意味」と地方創生

勉強会 2021.11.05

2021年11月5日(金) 講師:須江 雅彦氏(滋賀大学理事・副学長/元総務省統計局長)

2015年の国連サミットで採択された世界共通目標のSDGsですが、多可町においても官民連携でSDGsに取り組むステークホルダーをつなぐ仕組みをつくり、町内の事業者や個人が積極的に取り組む機運を高めるため、2021年10月にプロポーザルの結果、公益社団法人Knotsと連携をして多可町SDGs普及展開事業を行うこととなりました。その第一弾として、日本初のデータサイエンス学部や大学院データサイエンス研究科のある滋賀大学理事・副学長の須江雅彦先生をお招きし、多可町役場の職員向け勉強会を開催しました。
滋賀大学では「ウエルネスツーリズムプロデューサー養成講座」を行っており、多可町の一般社団法人多可の森健康協会の事務局長が第一期生として参加しています。ウェルネスプログラムの取り組みの先進地域として、須江先生も多可町の取り組みに関心を持って下さっており、深いご縁を感じています。

須江先生は、総理府に入省後、官邸の広報室長、第1次安倍内閣で内閣府イノベーション25特命室次長、そして総務省の統計局長等を歴任し、現職に至っておられます。この講演会では、様々なご経験の中から国の立場として見た「世界と共に生きる日本」「政策としてのSDGsとは」という視点でお話を頂きました。

開会に先立ちまして、吉田一四町長よりご挨拶を頂きました。勉強会に参加をした職員に向けて、厳しい時代を生き抜く中で、この講演会をとおして自分の心の中に根っこになるような意識をしっかりと持ち、自分の言葉で住民と話ができるようになると共に、これらの知識を活かして政策展開にも繋げられるような考えが持てる職員になってもらいたいとのメッセージが届けられました。

変化する国際情勢の中での日本

須江先生ご自身から改めて自己紹介をして下さった後、絶えず変化する国際社会の中で歴史を知るということの大切さを強調しつつ、世界の中での日本という立場や、SDGsとは何かという内容の講演が始まりました。

東西冷戦末期の1970年代末から1980年代は、戦後の国際構造の大きな転換点となり、日本も社会の安定のために、自国の財政との兼ね合いの中で、内政、経済、外交と安全保障のバランスを保つことに尽力をするという時代でした。
須江先生にとって特に1989年のベルリンの壁が崩壊した年は、職業人生の中で大きなエポックであったと言います。東西冷戦構造が終わって平和の配当が期待されていましたが、実際には東西の大国、米ソの重しが無くなったことにより、民族的、宗教的な地域の紛争が世界中で頻発し、混沌とした時代になっていきました。
また、先進工業国の経済水準が高まると共に、開発途上国の人口爆発などによって、化石燃料の大量消費や化学物質の排出、森林破壊など、自然環境に大きな負荷がかかり、地球規模での環境問題が大きな課題になってきました。

そうした中で、1985年の「オゾン層の保護のためのウィーン条約」、1987年の「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」などの採択によって、フロンの規制から全廃棄へとつながり、地球温暖化に関しては、世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により、1988年に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」設立。1989年に日本政府は「地球環境保全に関する関係閣僚会議」を設置するなど、日本も地球上の様々な資源を獲得して繁栄を続けてきた経済大国のひとつとして、地球温暖化やオゾン層の破壊、森林破壊、海洋汚染などの環境に関する課題に向き合い、国際社会の中で貢献することが求められるようになりました。
こうした課題は、地球の自浄能力や回復力を超え、人類生存の基盤を脅かす世界共通の課題でもありますので、1992年地球サミット(リオ)で「アジェンダ21」、1997年のCOP3で「京都議定書」により温室ガス濃度の削減目標が定められました。
2007年のIPCC第4次評価報告書では、「気候変化はあらゆる場所において、発展に対する深刻な脅威である」「我々を取り巻く気候システムの温暖化は決定的に明確であり、人類の活動が直接的に関与している」ということを国際機関として初めてはっきりと明示し、2021年のIPCC第6次評価報告書では、「人間の影響による温暖化は、大気、海洋、雪氷圏、生物圏において、広範囲かつ急速な変化を現出し、この気候システムの変化の規模と現状は、過去何千年も前例なく、世界の多くの極端な気象現象(熱波、大雨、干ばつ、熱帯低気圧など)に影響を与えている」「数十年の間に CO2その他の温室効果ガスの排出が大幅に減少しない限り、21世紀中に地球温暖化は1.5℃~2℃を超える」とされています。こうした世界への警鐘が、SDGsのカーボンニュートラルへの取り組みのベースになっています。
しかしながら、先に発展をして環境汚染を引き起こしてきた先進国と、これからエネルギーを使って発展をしようとしている途上国とでは見解の相違があり、規制だけではなかなか足並みを揃えるのは難しいのが現実です。

止まらない世界人口の増加

1950年の段階では世界の人口はまだ25億人程度でしたが、1987年には50億人を超え、2021年の段階で78.75億人にまで膨れ上がりました。30年後の2050年には97億人にまで増えると予測されていて、これだけの人間が地球上の資源を享受しながら発展を続けていくには、人類全体で方策を打ち立て取り組まなければ持続可能な社会が存続しないというのは誰も目にも明らかなことです。
それに加えて、日本では少子高齢化が大きな課題となっていますが、人口増加の大半が発展途上国で起るため、食料や水、エネルギーなどの獲得競争や若者の貧困などによって社会情勢が不安定になる可能性があり、女性などの人権や包摂性の尊重など、それぞれの国の事情によって深刻な課題を抱えており、これまで以上に「持続可能な社会」というのが重要なキーワードになってきているとのことです。

MDGsからSDGsへ

2000年に国連ミレニアム宣言で、2015年に向けてより良い世界の実現のために打ち立てられた、途上国の人々に対する安全保障が中心テーマであったMDGsは、極度の貧困や飢餓の撲滅など8つの項目で指標を設定して取り組み、ある程度目標が達成されたという歴史があります。
この成果を、2015年を迎えた後に次に向き合うべき課題として生まれてきたのがSDGsです。途上国だけではなく、地球全体を持続可能な社会にすることが中心の課題になっていますが、「誰ひとり取り残さない」という分野が広い目標になっているので、世界各国が賛同しやすい内容になっています。この「誰ひとり取り残さない」という視点は、地域行政でも「誰ひとり住民を取り残さない」という意味で必要な視点であるとも言えます。

日本は、食料や燃料などの多くの資源を海外からの輸入に頼っていますので、日本の経済は国際的協調の上に成り立っていると言っても良いでしょう。特に輸出入の99%が海上交通路(シーレーン)に頼っているので、世界の平和と安定は、日本の経済という観点のみならず安全保障上の観点でも大変重要で、日本だけが幸せであれば良いという一国主義ではとても生きていくことはできません。アメリカのような大国でさえもそうです。日本は自国の立場を踏まえて話をするのはもちろんのことですが、「世界と共に生きる」という視点で物事を考えないと明るい未来はありません。
そういう意味でもSDGsは世界的な枠組みになっている概念で、日本政府は国際的にもSDGsを強く打ち出している国として、地方創生での取組みを推奨しており、持続可能な社会を構築するために「誰ひとり取り残さない」という考え方を推し進めようとしています。2016年6月に、総理を本部長とするSDGs推進本部を設置し、国策として政府の骨太方針として打ち出しました。翌年2017年にはSDGsモデル構築施策を導入、ジャパンSDGsアワードなどを打ち立てました。

住んでいる人たちが幸せを感じる地域づくり

国の立場としては、1700もあるそれぞれの地方自治体の個別の事情を認識することはできませんし、仮に認識できたとしてもその差や違いを細かく分析して予算措置をすることは難しいので、それぞれの自治体側で計画を作ってもらって、それに沿って取り組むなら支援しますよというのが基本的な体系になっています。
なので、自分たちが必要だと思うことを地域のいろんなステークホルダーの皆さんと連携して、どうやって持続可能な地域の未来を目指すのかということを考えて頂き、目的意識や状況認識の共有しつつ、達成に向けた取り組みを各自治体で考えることが大切です。
人々が楽しく生きがいを持って生きていける地域にしなければ発展の意味がなく、人が住み続けられない地域開発は地方行政としては意味がありません。それぞれの地域の強みと魅力を活かして、住んでいる人たちが幸せを感じることができるということが基本になると須江先生は考えておられます。

中長期で課題を設定して、それに向かって皆で力を合わせて課題を共通認識し、政策・施策を作り出すのがSDGsの基本ですが、自分たちの地域のことだけではなく、社会や世界に貢献できるものは何かという視点も大切です。そうは言っても、自治体が地域の理解を得て実施することは地域社会に役立ちますし、なにがしかの取り組みを真摯に行っていると周りの地域や国などにも必ず貢献できるものがあると思っていますので、あまり大げさに考える必要はないだろうとのことです。繋がりの連鎖がムーブメントになるので、自分たちの地域の課題に向き合いつつ考え始めることが大切なのです。

講演会後に職員による質疑応答があり、それぞれの担当部署から、地元の人間があまり価値に気づいていないこのまちの魅力をどのように伝えていくのか、また合併当時に2万5千人いた人口が現在では1万9千人ほどに減少し、令和2年度には66人しか新生児が誕生していないという危機感など、役場職員として持続可能なまちづくりについて、日々苦悩しながら業務を行っている姿を垣間見ることができました。